福島容器株式会社

●中学校入学
ふるさとの大恩人は最初にも紹介いたしました元那須町長の益子重雄さんです。益子さんは、先の大戦において現役で入隊、選抜されて士官学校に入られた軍人であられます。中支戦線において軍人として名をなし、金鵄勲章を授けられました。ふるさとの誇る英雄としても知られています。
終戦後に益子林業を興されて、社長さんになられました。その後、衆望を担って那須町長に就かれて二十年間にわたって町政を担ってこられました。現在九十四歳、矍鑠とされておられます。
益子さんには、父慶一の葬儀の際、大変にお世話になりました。私は当時二十歳。自衛隊に勤務し、実家は父と妹二人の三人暮らしでした。私も若く、戸惑いの中での葬儀となりましたが、本当に親身になって葬儀を仕切っていただき、とどこおりなく済ませることができました。
また、益子さんは家内悦子の実家と親しい関係にあり、悦子が私と結婚するときに、「この男ならば間違いないから一緒になれ」と言ってくださった。家内の保証人であり、私どもの仲人さまです。そして長男明人(福島容器専務)の名付け親でもあります。
後述しますが、私どもにとって大変な事件が起きたときにもお世話になった方です。
話が横道にそれてしまいましたが、総代を務め伊王野小学校を卒業しました私は、伊王野中学校に。しかし、戦後間もない混乱期だったことに加え、伊藤家は依然として貧困を極めておりました。
中学校には進んだものの学校は休みがちになり、成績は悪くなる一方でした。なぜ休まなければならなかったかと申しますと、家計を助ける必要があったからです。
農作業、山仕事の手伝いに、うどん売り。「かわいそうだなあ〜」という思いもあってか、仕事をさせていただくことができた。
うどん売りは、うどん屋さんから二十把預かり、近隣の村々を歩いて売るというものでした。当時のうどんは現在のように完全包装されたものとは違い、すだれのようにして乾燥させ、束ねたものでした。
預かった二十把を全部売れば二把いただき、それが伊藤家の食料になったのです。一日何軒、何里歩いたか分かりません。「小さいのによく頑張るね」と同情もあってのことでしょうか、よく買っていただきました。
日が暮れ、赤い夕陽が山の陰に隠れるころ、とぼとぼと歩く自分の姿が今も思い浮かびます。学校に行けない寂しさはありましたが、貴重な体験だったと思います。
加えて、中学校時代にうどん売りで歩いたことが、足腰を丈夫にしたのでしょうか。私は今もって一度も腰が痛いといったことがありません。そういったことを考えれば、私にとってうどん売りは健康のために良かったのかもしれません。
こうした厳しい生活だった小中学校時代でしたが、現在もふるさとにお住まいになり、時々顔を合わす吉祥典志さん、熊田隆由さんら多くの同級生の皆さんに支えていただき、今も感謝の気持ちでいっぱいです。
(題字は筆者)

福島容器株式会社

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