福島容器株式会社


伊藤弥栄会長の自叙伝「私の半生」

年 月 日

私のひとりごと

 
平成22年 9月 1日

経営協(平成22年9月号)に社会福祉法人郡山清和救護園が、福祉の原点を探る

〜新たな福祉サービスの創造へ〜として、グラビア掲載されました。

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                                  平成22年9月吉日

皆様へ

                                     伊 藤 弥 栄

 

拝啓 今年は例年になく残暑が続いております。

皆様には益々ご清栄の御事とお喜び申し上げます。

 さて、お蔭様で私にかかる社会福祉法人「郡山清和救護園」が、福祉業界

月刊誌「経営協」の紙面に掲載されました。

大変に光栄に存じております。

 その冊子の掲載記事をご紹介させていただきますので、ご閲覧いただければ

幸いに存じます。

 尚、今後とも公私共に、ご指導賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

 先ずはご案内かたがたご挨拶まで。

                                            敬具

 

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掲載されております私の「顔写真」は、

私が清和救護園理事長に就任した

平成8年に撮影されたものです。

            汗顔の至りです。

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■表紙

■CONTENTS(目次)

■福祉ネットワークの核をめざして60年(39ページ)

■地域の中で、地域とともに歩む事業展開(40ページ)

■地域に支えられる施設に成長(41ページ)

 社旗福祉法人郡山清和救護園データ

■利用者満足と働く喜びの実感を両立させていきたい(42ページ)

 理事長 伊藤弥栄

■裏表紙

 


平成21年12月25日

年の瀬にむけて

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年内余日は少なくなりました。「私のひとりごと」は本日をもって平成21年年末納めといたします。

つたない文章でしたが、折々に思いを込めて綴ってまいりましたが、今回は「私の半生」本文に載せていただきました、私にとってはかけがいのない大恩ある五人の方々の、その後の消息について書かせていただきます。

1.ふるさと、栃木県那須町で子供の頃から大変にお世話になりました、恩人の

  益子重雄さまは、今年の3月に100歳の天寿をまっとうされ、他界されました。

  ご冥福をお祈りいたします。

2.社会に一歩踏み出した自衛隊の時代、勤勉な生き方、質素倹約の大切さ、そして判断力を

  教えてくださいました、元通信隊長の渥美行雄さまは、現在神奈川県横須賀市にお住まい

  になられておられます。

  86歳の高齢になられましたが、病弱で82歳の奥様の介護をされておられますことをお聞き

  しまして、日々のご苦労を案じております。ご自愛をお祈りいたします。

3.信用の大切さ、小さな空きびん容器業を確保たる基盤に育ててくださった、栄川(エイセン)

  酒造様、第三代社長の故宮森栄四郎さま、第四代社長の故宮森茂朗さま、現会長の

  宮森久治さま、そして現社長の宮森優治さま。

  以来今日に至るまでのご愛顧、本当に有難うございます。

  栄川酒造様は、昨年本社工場を会津磐梯町に移転されました。

  日本の「名水100選」に指定された、磐梯山の麓に湧き出る「磐梯湧水」をもとに醸造される

  銘酒「栄川」は、更に人気銘柄になっております。

4.信用第一、金融機関からいただいた信頼の大切さ、経営のあり方を教えてくださいました

  東邦銀行元副頭取の故佐藤定夫さま、有難うございました。

  当社は、東邦銀行様あって今日があると思います。安積支店初代支店長の高村泰時さま

  以来、第19代支店長の宍戸英裕さまに至るまでお取引をいただき、

  ご指導ご支援をいただいております。

  折々お逢いする東邦銀行前頭取の瀬谷俊雄さま、現頭取の北村清士さま、そして

  東邦銀行の皆様方からその都度励ましのお言葉をいただき、有難うございます。

  私はいつも、東邦銀行様のご発展を祈念いたしております。

5.元郡山市長の高橋堯さまは「私のひとりごと」でもご紹介(平成21年08月26日付)

  させていただきました。昨日はお伺いをいたして参りましたが、近況お元気でお過ごしで

  ございます。

以上、大恩人の皆様、そして関係する皆様について申し上げました。

お蔭様で昨日があって今日があります。心からお礼申し上げます。

来る2010年、皆様には幸多き1年になりますことを祈念して、年末納めといたします。


平成21年11月30日

ライオンズクラブ周年記念式典

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ライオンズクラブ国際協会332D地区(福島県)第2リジョン梁川ライオンズクラブ(LC)結成40周年記念式典が、11月29日(日)伊達市梁川農林環境センターで行われました。

地区ガバナー若木幹L他リジョン内役員及び会員の皆様約150人が出席し、丹野善一会長が「今後も会員の融和を図り、奉仕活動に精進していきたい」とあいさつされました。

LCでは、各クラブとも5年・10年というような節目の年に記念式典を行います。梁川LCは奉仕の心をはぐくみ、今年で40周年を迎えることができ、誓いを新たに記念式典を盛大に挙行されました。

時局に対応する記念式典は、リジョン単位に行うようになりましたが、私は1992年に梁川キャビネット(酒井誠一ガバナー(現名誉顧問))の時に副ガバナーに推挙された経緯がありますので、自ら進んで出席させていただきました。

「温故知新」

懐かしいライオンの皆様にお逢いいたし嬉しく思いました。

世代交代の中に飛躍を誓うライオンズクラブの姿を、まのあたりに見させていただきました。

■福島民友新聞(11月30日掲載)

 

■福島民報新聞(11月30日掲載)

 

式典への往復の道すがら、以前の項目(9月23日付け)で記述させていただいた植樹(私のガバナー時の公式訪問時記念植樹)の現在の様子をカメラに収めてまいりました。「感無量」

■保原総合公園(欅)

 

■安達ケ原ふるさと村公園(欅)

 

■二本松千恵子の杜公園(欅)


平成21年11月24日

私の健康について

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このところ、訃報はがきのご挨拶状をいただくことが多くなってきております。
人間の寿命は、人それぞれであるとは存じますが、ただただ感傷にひたるばかりで
す。
私は、人生残り少ない時間を、自分の幸せのため、家族の幸せのため、健康増進のため、次の事柄を実行いたしております。

1、食事について
  健康を維持するために、食事の時間・栄養・量ともに注意し、
  バランスの良い食事を摂るようにしています。
  私は、15年来「糖尿病」と向き合っており、日頃から体調管理には
  特に注意しています。

1、飲酒について
  酒は大好きで、若い頃から深酒をすることが多かったのですが、
  今では、「一合」以上は飲まないようにしています。
  最近は、夜の宴席のお付き合いも控えめにいたしております。
  また、煙草は全く吸いません。

1、睡眠について
  忙しいときでも、8時間の睡眠時間をとるようにしています。

1、運動について
  軽い運動を毎日欠かさないようにしています。
  最近では、自宅から会社までの通勤にウォーキングを取り入れています。

1、仕事について
  所用のないかかぎり、会社に毎日出勤し仕事をしています。
  特に、パソコンを使ったペーパーレス化に取り組み、

  殆どの資料は分類入力し、私の机の上には、不要な「書類(紙)」は

  一切ありません。
  過去30年前のスケジュールまで、いつでも閲覧できるように

  なっています。

以上、私はこの5項目を、いつも念頭に置き、実行するようにしています。
人間は死ぬまで生きられる。

今日生きることの「運命」をよろこびとして、健康を維持するために

更に注意してまいりたいと考えています。


平成21年10月23日

地域の中で地域とともに

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〜地域の中で地域とともに〜は「社会福祉法人郡山清和救護園」のモットーであります。

■郡山清和救護園 全景 (竣工平成12年12月)

郡山清和救護園 全景

※上の画像をクリックすると大きな画像が表示されます。

私は昭和57年7月に当法人の理事に就任いたし、福祉について学びながら貢献させていただくこととなりました。

平成8年7月には理事長という大役をお引き受けさせていただき、今日に至っております。

当法人の「沿革」及び「組織一覧」並びに、平成21年発行の「一年のあゆみ」に掲載させていただいた「ごあいさつ」を記載させていただきます。

 

〜追伸〜

私の娘夫婦(成田の団地在住)が、孫たち(高一男、中二女、小四男)と、先週日曜日に、新聞折込み広告を見て、10キロほど離れた富田町のラーメン店に食事に出向いたおり、店内に掲げてあった理事長伊藤弥栄の名の入った感謝状を見てびっくり。
それぞれに「本物かい、本当かい、じいちゃんはスゴイ!」と、大分興奮したようです。その時のラーメンはさぞかし美味しかったと思います。
私は、その話を聞いて嬉しく思いました。

青少年の健全育成にの一助になったこと。
改めて(きらら)ラーメン店様に御礼を申し上げます。

ありがとうございます。


平成21年10月04日

株価は先行する

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平成21年10月3日、日本経済新聞マーケット総合1欄に「地銀年初来安値」の株価記事が載っておりました。
日経平均株価が大幅安の中において、年初来安値の4分の1を占めたのが、地方銀行の株価であるとのこと。
お取引を願ってるT銀行の株価に目を移したら、年初来株価に値幅があったので一安心でした。


地元、福島県には地方銀行が3行あり、それぞれの銀行が地域の中で地域と伴に、地元経済界と密接な関係にあり存在感のある銀行であります。
私は「私の半生」でも、述べておりますが、T銀行とはご縁が深くお取引を願っております。そして、その銀行の親睦会ができてから、今まで30年間その会の末席を汚しております。


「株価は先行する」というような株式運用の言葉ががあります。
地方銀行と取引企業の健全経営の方向を「株価は先行する」の視点をそこに置くと、なにか今後に不安感を拭い切れない状況であるようです。


平成21年09月23日

秋彼岸(秋分の日)

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私のふるさとは「私の半生」でも詳しく述べておりますが、栃木県那須町伊王野の片田舎であります。
数年前、道路改修に伴い、生家の跡地は、あとかたもなくなりましたが、私には菩提寺「曹洞宗山号瀧澤山正慶寺」に先祖の墓地が残されております。

現在のご住職は、第二十九世堀内俊英和尚でございますが、第二十八代の大寛文雄(ブンユウ)大和尚は、宗務の第五教区長も務めた名僧でございました。平成15年2月に75歳で遷化されました。
私は、文雄和尚より正慶寺世話人を仰せ着けられました。以来今日まで、微力ですか寺門発展のため、壇信徒として家族ともども信心生活を深め感謝の日々を送っております。


■正慶寺正門

※上の画像をクリックすると大きな画像が表示されます。

大寛文雄和尚生前に、伊藤家の墓地の隣地の無縁墓地をいただくことになり、有り難く頂戴いたしました。墓地が広くなり、その工事を石のカンノ(郡山市)岡崎支店長様にお願いいたしました。
そのとき私が岡崎様にお願いしましたことは「後世に残すことであり、出来るだけ質素に造ってもらうこと。今まで家内が苦労した墓掃除を踏まえ、雑草が生えないようにしていただきたい。」と条件をお願いたしました。
有り難かったことには、近くに支店がございますのに、郡山から直接工事を仕上げてくださったことでした。
蛇足を申しますと、私と家内は2カ月毎にその墓掃除に出向いております。

話は変わりますが、私が所属するライオンズクラブは、その時の地区ガバナ−が任期中に、地区内全クラブを公式に訪問し、地区運営の基本方針を説明するとともに、クラブ運営のあり方を直接指導する責務を担っております。9月16日には私の所属す
る郡山開成ライオンズクラブ含めた郡山全ライオンズクラブに対して若木幹ガバナ−(福島西ライオンズクラブ所属)の公式訪問がございました。ご指導を受け、全クラブあげてご歓迎をいたしました。

話を戻しますと、私のふるさとに行く道路はいくつかありますが、私共夫婦が帰路に必ず通る道は、義経が奥州より一路鎌倉えと馳せた伝説の東山道を通ります。
道中には、県境追分明神、関の森公園、白河の関などの旧跡があります。

■県境追分明神

※上の画像をクリックすると大きな画像が表示されます。

■関の森公園

 公式訪問記念植樹

 ・カツラ   3本

 ・ナツツバキ 3本

※上の画像をクリックすると大きな画像が表示されます。

■白河の関

※上の画像をクリックすると大きな画像が表示されます。

私が1994年ライオンズクラブガバナーに就いたときの基本方針の一つに「環境保全を」あげておりました。そして、公式訪問のおりには、その地その処において植樹をいたしました。福島県内12カ所において実行いたしました。
標柱は朽ちても、植樹した木そのものは太く大きく育っております。
私と家内は、ここ関の森公園での標柱のたもとでの一休みが、ふるさとへの和みでございます。

秋彼岸(秋分の日)にあたり公表いたします。
晩年までを汚さなく生きよ。と、私ども夫婦の生い立ちを、よくご存知の菩提寺前ご住職大寛文雄大和尚が、「平成8年9月23日」13年前の今月今日、生前戒名を授与してくださいました。子々孫々に誇れる立派な戒名でございました。深く感謝いたしております。
今後とも寺門発展のために信心を深めて参ります。

合掌


平成21年09月10日

プラスチック製容器(P箱)

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〜やっぱり地酒だ一升びんだ。〜

この言葉は、びんのリサイクルを生業としてる、私ども東北びん商連合会のスローガンです。
私も本組合の末席を12年間果たした過去があります。その頃は本当に一升びんの良き時代でありました。

「私の半生」(第17回)に述べておりますが、一升びんを入れるプラスチック・ケース(P箱)の導入は、私の会社福島容器の発案が源となった画期的な出来事でございました。
その後、日本中で採用されていた木箱がP箱に変わり、現在に至ってますが、、容器流通に大きな影響を与えました。
ところが、時代の変遷をたどる中に、リサイクルの主力であった一升瓶が減少傾向になり、お酒の容器も小ビン化になり、酒類そのものも多岐にわたってまいりました。

ここに、関連した問題点として、平成21年9月9日朝刊の福島民報新聞記事を紹介・掲載いたします。

一升びんなどの運搬に使われるプラスチック製ケース。本来は返却しなければならない物品で、通称レンタルP箱と呼ばれている。しかし2000万箱以上が市中に滞留し、レンタル業者が返却を呼びかけている。
P箱は、レンタル業者が、清酒メーカーなどに貸し出し、卸業者を通じて販売店や消費者へと渡る。空びん商が回収して再びレンタル業者へ戻る仕組みだ、頑丈で軽くて持ち運びが便利なことから、居酒屋などではいすやテーブルに、生鮮食品店では野菜や魚を並べる台にと、本来の用途以外に広く“活用”されている例も多い。
日本P箱レンタル協議会によると、全国で一升びん6本入り2300万箱が運搬用に使われている。ところが毎年100万箱が返らず、これまでに2200万箱が行方不明になっている・・・・・(以下文面省略)

おかげさまで、弊社は県内のレンタルP箱の経路を確立しております。しかし冒頭申し上げました、一升瓶の取り扱い減少はゆがめない事実であります。その分、販売商品も多くなり包装関連資材全般を取り扱うようになりました。
今後とも、「共存共栄」の社是のもとに地域のなかで地域とともにをモットーに、地域公共性にお役に立つ仕事を続けてまいります。変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。


平成21年08月26日

親父さん

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親父さん。その方の名は、元郡山市長の高橋様でございます。


年月が過ぎ、今の高橋様のご生活は、お年は93歳になりましたが、お元気でお過ごしでございます。
人世は出会いである・・・「私の半生」の記事でご紹介しましたが、私の大恩人でございます。
私は、郡山在住、45年になります。企業を起して間もなく、6年後の1971年に、郡山開成ライオンズクラブが結成されたときに、ご縁があり誘われて入会いたしました。
高橋様は、その開成ライオンズクラブ初代会長でございます。


もともと学歴も、社会経験もなく、若輩者の私でしたが、メンバー各位の友情のもと、5代目の会長にもなり、1994年には福島県全ライオンズクラブ、会員を統轄するガバナーとしての要職にも就かせていただきました。親父さん、高橋様の後ろ盾の存在か大きなものがございました。


一方、高橋様が、市長在任中は、郡山市社会教育委員も、仰せつかりました。その他数々の事柄が、高橋様と私の関係の中にございます。
高橋様との人生模様を辿れば、市長にご在任中よりも、引退後の数々のご教訓の方が、数倍の価値があり、そこが処世訓につながるものと思います。


私は、時折、親父さんの所を訪れます、お茶をよばれ、雑談の中、ぞんざいな言葉もいたしますが。けれども「弥栄さんひざをくずして」仰いますが、私はいつもお座りで、背筋をのばし緊張をいたしております。

終生の私の師匠。いつまでもお元気で。


平成21年08月22日

感謝

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平成15年1月1日より35日間、福島民友新聞に「私の半生」が掲載されました。
そのおり、取材記者として連日お出でくださいました方は、福島民友新聞社郡山総支社報道部次長の柳沼幸男様でございました。

その後、ほどなく 柳沼様は本社(福島市)編集局にご栄転されました。

年度ごとに、柳沼様のご出世をお伺いして、陰ながら喜んでおりましたが、今年の福島民友新聞社の、6月の役員改選で柳沼様が取締役に就任され、併せて郡山総支社長にご栄転されるとの発表がございました。
6月25日に郡山総支社長としてご就任されました。そして、翌日6月26日に私のところに、ご挨拶にお出でになりました。
「人生はであいであり・・・」本当に感謝、感激いたしました。

「私の半生」で、私のようなものに白羽の矢を立てていただき、大変にお世話になりました柳沼幸男様に、心からお祝いを申し上げます。


平成21年08月20日

76回目の誕生日

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8月20日、本日私は76才の誕生日を迎えることができました。

「人生は出会いである。出会いを大切にする、その人の人生は豊かである。」

を座右の銘として、お蔭様で今日まで大きな病気もせず、元気に生きてこれました。

出会いのあった、よき先輩、後輩、そして知人とのお付き合いに感謝いたしております。

今後は「私の半生」に関わるその後の人生の一齣を、つたない文章をもって綴って参ります。

ご閲覧をお願いいたします。


平成21年08月01日

ひとりごと掲載開始のお知らせ

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平成15年1月1日から福島民友紙に掲載された私の自叙伝とも言える「私の半生」を執筆するにあたり、想いや願いその他感じたことなどを〜私のひとりごと〜として掲載を始めました。

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